斬らなイカ?

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ソード&ダガーとエスパダ・イ・ダガ

フィリピン武術カリ(もしくはアーニス/エスクリマ)にはスペイン統治時代に伝わったスペイン剣術の影響が強く、その中に、片手に剣もしくは同サイズの棒、もう一方の手にナイフを持つ「エスパダ・イ・ダガ*1」というスタイルも含まれます。

先日、キャッスル・ティンタジェルさんで体験させていただいたヨーロッパ剣術の中には「ソード&バックラー*2」のスタイルがありました。時代を下って盾が短剣に変わって「ソード&ダガー」となり、それがフィリピンに伝わったようですが、それほど単純な話でもなさそうなスタイルの違いが見られたので少し調べてみました。

きっかけとなったのはこの動画。「ソード&ダガー」対「ソード&バックラー」スタイルのスパーリングです。

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バックラー側は構えによっても異なりますが、バックラーを体から離して相手に向ける基本的な構えでは左足が前になっています。一方でダガー側は常に右足が前であり、明らかに使いかたが異なることが見て取れます。

そして、後述しますがカリのエスパダ・イ・ダガともずいぶん違う印象を受けました。

HEMA

予備知識として。西洋剣術、中世ヨーロッパ剣術などと書いていますが、一般に「歴史的ヨーロッパ武術」/ “Historical European Martial Arts (HEMA)” と呼ばれるカテゴリがあり、伝承が途絶えていた中世ヨーロッパの武術を、史料・文献などを元に復刻する活動をしている人・団体が多数あります*3

その人・団体が想定している時代によって使用する武器や技法は異なっており、例えば前述のティンタジェルさんでは13〜15世紀を想定されています。

上に貼ったような動画の場合、それが簡単には読み取れないことも多いので、参考程度に見ておくのがよさそうです。

ソード&バックラー

順を追って「ソード&バックラー」から。このスタイルは13世紀ドイツ剣術のフェシトビュッフ(指南書)である『I.33』に書かれているもので、当時のベーシックなスタイルだったようです。

『I.33』の内容は下記サイトで閲覧できます。

wiktenauer.com

バックラーを持つ左腕は伸ばし、右手の剣で攻撃するときにもその籠手を守るように使います。そのため、盾を持った側、つまり左足を前に出すスタンス(『I.33』の挿絵からは判断しきれないところですが)になることは自然で、

“兜の左側に通気の穴を開けずに右側にのみ穴を開けたり、イタリア式の鎧の左側が右側に比べて頑強な作りになっていたり”

『続・中世ヨーロッパの武術』 p.11 より引用

と、鎧の作りまでそれを前提にされたものだったようです。

それが14世紀に入ると鎧の強化(プレートメイルなど)により盾の存在意義が薄れて廃れ、武器もまた鎧に対抗するための両手武器(ロングソード、ポールアームなど)が使われるようになります。

ただ、これは戦場での話であり、市中や決闘ではバックラーは使われ続けたようです。

時代が飛びますが、『続・中世ヨーロッパの武術』第3部 第9章「サイドソード*4とバックラー」では、ルネッサンス期イタリアの技が紹介*5されています。 ここでは右足前の構えや技が見られますが、これには15世紀初頭から剣の鍔の形状が徐々に右手を守る形に変化したことと関係していそうです(鶏が先か卵が先かの話もありそうですが)。

なお、上に貼った動画のソード&バックラー側は、このルネッサンス期イタリアの技法を取り入れているように見えます。

ソード&ダガー

ダガーと剣を同時に使う技法が描かれた最初のフェシトビュッフは、タルホーファーの1467年のフェシトビュッフで、左手にバックラーとダガーを握って”

『続・中世ヨーロッパの武術』 p.106 より引用

また、

“北イタリアのフィオレ・ディ・リベリ(Fiore di Liberi)は15世紀にフェラーラのニコロ3世の宮廷剣術指南(マエストロ)に任命された。彼の書『フロス・デュエラトールム Flos Duellatorrym(戦いの花)』は、当地の剣豪「ジョバンニ・デッレ・バンデネーレ(黒隊長ジョバンニ)」をモデルに、素手の組討、ダガーを用いた二刀流、ロングソード、長柄武器などを使った完全なもので、1410年に出版された”

西洋剣術 - Wikipedia より引用

とあり、15世紀イタリアにすでに「ソード&ダガー」のスタイルはあったようですが、一般的には16世紀からと言われており、『続・中世ヨーロッパの武術』第3部 第8章「サイドソードとダガー」で紹介*6されている技法もすべて16世紀のものです。

ここでのダガーは全長50cm程度と長めのもので鍔もあり、相手の攻撃を受け流す*7ことが主用途です。動画のように右足前のスタンスですが左腕も前に出し、両手の剣の切先が揃うような構えをしています*8

別の(恐らく16世紀を想定している)ソード&ダガー同士の試合動画を見ると、主武器がレイピア(それ以前の片手剣よりも長い)であることもあってか、ダガーで直接攻撃する間合いになることはほぼありません。

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16世紀ヨーロッパの「ソード&ダガー」におけるダガーの役割は(スタイルは違えど)バックラーに近いものと考えてよさそうです。

エスパダ・イ・ダガ

フィリピンにスペインのマゼランが喧嘩を売って返り討ちにあったのが1521年。以降徐々に植民地化が進みますが、その中でスペインの武術とフィリピン土着(イスラム系)の武術が混ざって「カリ」の原型ができたと言われています。

カリと言っても流派が多く、私が触れた範囲での印象でしかありませんが、カリの「エスパダ・イ・ダガ」のスタイルは、前述の「ソード&ダガー」とはかなり印象が異なります。 左手に持つ短剣は短く鍔もないナイフであり、相手の攻撃を刀身で受け流すことは無く(受ける場合は相手の内籠手に刃を当てて受ける)、間合いを詰めたときには攻撃に使う、というものです。

一方、古い剣術のスタイルを残している「カリス・イラストリシモ(Kalis Ilustrisimo)」という流派では「プンタ*9・イ・ダガ」と呼ばれ、大きめの短剣を使い、その刀身で相手の攻撃を受け流す技法も見られます。

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カリの諸流派はひとつのスタイルが分派したものではなく、フィリピン各地で個々にスペインの影響を受けて醸成されたものと考えられます。従って、ヨーロッパにおける最終的な「ソード&ダガー」のスタイルが伝わったのはごく一部の土地(時代)だった、という可能性もありそうです。

つまり、中世ヨーロッパ剣術の「ソード&ダガー」と、カリの「エスパダ・イ・ダガ」は、ほぼ別のものと考えたほうが自然な気がしています。

その後のヨーロッパ剣術

スペイン剣術

15世紀からイタリアで発展した剣術の技法はスペインにも伝わり、16世紀半ばに「スペイン剣術」と呼ばれるスタイルが成立したとされています。

“スペイン剣術の戦い方は以下の通り。まず彼らは、できる限り勇敢に、足を広げずに背筋を真っ直ぐ伸ばして立つ。そして彼らの足は決して止まることがなく、あたかもダンスを踊っているかのようだ。そしてレイピアと腕を、一直線に相手の顔か腕に伸ばすのだ”

『中世ヨーロッパの武術』 p.47 より引用

といった印象らしく、これは現代のカリとはかけ離れたスタイルと言えます。この時代のスペイン剣術がフィリピンに伝わって今のように変化したのか、そもそも伝わっていないのか、気になるところではあります。

また、スペイン剣術成立以前の話として

“それ以前の武術は「古武術」(Esgrima Antigua)と呼ばれ、残念ながら、現在ごく断片的な資料が残るのみです。スペイン・ポルトガルのあるイベリア半島は、かつてイスラム勢力に支配されていたので、当地の「古武術」には、おそらくイスラム起源の武術の影響があったと思われます”

『中世ヨーロッパの武術』 p.47 より引用

とあり、こちらもとても興味深い話です。イスラム

スモールソード

17世紀になるとレイピアは廃れ、より短く軽い「スモールソード」へと変化します。ここまで来ると、現代のフェンシングに近いものになってきたようです。

また同時に、

ダガーを補助武器として使う技法は、レイピアがスモールソードへと変わる頃に廃れていきました”

『続・中世ヨーロッパの武術』 p.109 より引用

とのことで、「ソード&ダガー」の時代も終わりです。

まとめ

今まで漠然と、中世ドイツ剣術→イタリア剣術→スペイン剣術→カリ、という流れだと認識していたのですが、カリにおけるスペイン剣術の影響は意外と少ないのかも知れません。 また、いわゆる「スペイン剣術」の完成形ではなく、まだルネッサンス期イタリア剣術が残る形で伝わったのではないかとも。

ただ、例えば太刀筋を番号で呼ぶ文化はヨーロッパ剣術発祥でカリにもあるものです。このような、技法自体でなく、体系的な教え方・伝え方に関する部分でヨーロッパ剣術の “技術” の影響力が強かったのかも知れません。

参考

中世ヨーロッパの武術

中世ヨーロッパの武術

続・中世ヨーロッパの武術

続・中世ヨーロッパの武術

Walpurgis Fechtbuch (MS I.33) ~ Wiktenauer ~☞ Insquequo omnes gratuiti fiunt

Antonio Manciolino, Opera Nova…De l'armi d'ogni sorte, 1531

Vincentio Saviolo, His Practise, in Two Books, 1595

Giacomo di Grassi, His True Arte of Defence, 1594

Opus Amplissimum de Arte Athletica (Cod.icon. 393)

公開!フィリピン武術の全貌 【DVD付】 (BUDO-RA BOOKS)

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Secrets of Kalis Ilustrisimo: The Filipino Fighting Art Explained (Tuttle Martial Arts)

Secrets of Kalis Ilustrisimo: The Filipino Fighting Art Explained (Tuttle Martial Arts)

*1:Espada Y Daga: Espadaは剣、Yはand、Dagaは短剣の意

*2:直径30cm弱ほどの小型の盾

*3:日本武術は伝承が途絶えていないことを喜ぶべきなのでしょうが、すべてが正しく伝承されているとも限らないですし、そもそも何を持って「正しい」と言えるのか、悩ましいところ

*4:この書籍においてサイドソードとは16世紀イタリア市民の護身・決闘用の片手剣のことを指し、これが時代とともにレイピアに姿を変えますが、当時の史料・文献では明確に区別されていないため、一部同列に扱っています(p.100〜102)

*5:出典は、Manciolino Antonio, The Complete Renaissance Swordsman(1531)

*6:出典は、Vincentio Saviolo, His Practise(1595)、Giacomo di Grassi, His True Arte of Defence(1594)、Mair, Paulus Hector. Opus Amplissimum de Arte Athletica, vol.2(1540s)

*7:そのため「パリイング・ダガー(parrying dagger)」や、フランス語で左手という意味の「マンゴーシュ(main gauche)」とも呼ばれます。このあたりは『中世ヨーロッパの武術』p.303, 324のコラムに詳しい

*8:宮本武蔵二天一流の構えに少し似ています。二天一流と同じく切先を交差させて十字受けする技もあるようです

*9:Punta: 「先の尖ったもの」の意で、レイピアや手槍など「剣」よりも広い意味の言葉